かなたへのあこがれ Longing for the other side1-P1~P5

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 秋沢瑠衣子は、俊一の母親の兄のひとり娘である。彼女の父、秋沢裕三はケンブリッジにある大学に留学中に、良き学友となった同い年のシャロン・レイノルズと恋におちた。

 シャロンの父、マーク・レイノルズはその都市の南よりの街、もうロンドンにも近い地点で自動車整備工場を営んでいた。裕三は一家のひとり息子であり文質彬彬だったため、なにかにつけて周囲を騒がせずには済まなかったが、シャロンのことは伏せて帰国し、家業である電子部品製造会社に入社した。

 本社の営業部門で実績をあげつつ新しい社内システムの提案や派閥への上手な対応などで人気を獲得、たちまちにしておおっぴらに次期社長の名を噂されるまでになった。そこまで状況を整えてから彼は将来を誓い合った女性がいることを両親や親せきたちに打ち明け、そのころすでに本国のメディア関係の企業で編集助手をしていたシャロンを呼び寄せ、結婚したのである。二十八のときだ。

 シャロンは瑠衣子が八つになったばかりのころに肺の病で死去した。瑠衣子は祖父母や父の愛を一身に集めて、時にわがままに美しく成長していった。始終取り巻きたちを翻弄し、かと思うとふっと孤独に埋没する。理解しがたい複雑な性格は面白半分の興味や刹那的な関心をそそることはあっても、なかなか真摯な友情には縁遠いものであった。

 もともと勝気そうな目ととがった鼻が魅力の瑠衣子は、成長するにつれて翳りのある華やかさを身に着け、俊一の気持ちをますます締めつけていった。だがもちろん、それはおりあるごとに告白しようとして果たされなかった一方的な想いだったのである。

  いきなり彼女がグラスをさしだす。ボトルには普通、グラスはふたつあるのが定番だろう、特にこんなふうに男と女が向き合ったときには。だが瑠衣子は自分のぶんしか持ってこなかった。俊一が憤慨したところで、誰とでもふたりきりになろうとは考えていなかった瑠衣子には、思いつきようのないことだ。淡く闇のほのめくなかで、彼女はいま自分を見ているのだろうか。ぞくぞくするような日本人離れしたブラックパールの薄い瞳を、なめらかなウエーブのかかった亜麻色の髪のあいだから、まっすぐ投げているのだろうか。

 ぼんやりと彼女のシルエットに瞳を凝らす俊一は、不確かな現実に胸ふるえた。櫂をさばく手が一瞬止まる。それからまた先を急ごうとする。こんな落ちつかない場所では駄目だ。グラスを受け取って気の利いた会話を始めるのも、すっかりご機嫌の彼女の肩に腕をまわしてあごを上向けるのも、こんな不安定な場所じゃできやしない。だから早く岸に上がらなくちゃ。

 まるで人生がただ一度このときのために、彼を養ってきたかのような荘厳な気分になった。いつもはぐらかしてきた瑠衣子もまた、じつは同じ心境なのではあるまいか。焦る自分をたしなめながら俊一は静かに急いだ。

かなたへのあこがれ-2-P1~P5

かなたへのあこがれ-3-P1~P3

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