眠れぬ夜暗がりで、彼は白い薄絹のように漂い消えていく空中の煙を飽きずに眺めて過ごした。側近の進言者とともにたっぷりとした孤独に沈み、見たこともない大海原を心許なく漂流しつづけた。健全な精神の切れ端は半ば溺れた状態で、掴まるものとてなく波間に喘いだ。人知れず死闘の限りを尽くす彼の日常を、忠実に見守りつづけたのは、黄ばんだ指先から片時も離れなかったたばこの、淡い煙だけである。
以下は、後日彼が幾らか秩序だって自分を語ることができるようになった時期に、カイーゼル髭を撫でつけながら細切れに披露した経験のひとつである。

そこにいるのはもう僕ではなかった。肉体のない想念それ自体だった。その想念も実感の薄い他人のそれのように皮膜に覆われて、既に久しく疎遠にしている旧知の友のように素っ気ないものだった。まるで無意識に所有されていることに我慢がならないといったふうに手間隙をかけて周到な手口を編み出し、反旗を翻そうとしていたのだ。
人は何によって自己を維持しているのか。どんな堅固な大地によって自らの足場を守られているのか。そんなことにまでぐだぐだと思い致すようになるなど、自己破壊の目論見に走りだしたウラエウスのようじゃないか。自らの尻尾を加えているあの蛇のことさ。そんな疑問、気付かないに越したことはない。だが僕は、もうずっと何年も覚醒した脳の自己追求プログラムの追随者となって翻弄されつづけ、ために思考パターンもある形状へと画一化されてしまっていた。何を見ても聞いても、辿るべき思考経路は決まっていて、行き着く答えも決まっていた。
本質的に柔軟なアイデアマンの僕は、時には進取の鋳型を手に入れた気にもなったりしたが、結局のところ姿を変えた巨大な落とし穴に順調な速度で落下していたに過ぎない。重苦しい痛みは、もう痛みではなくなり始めていた。いつでも心和む定席ってわけさ。

小針が銛ほどの威力を持って突き刺さる、そんな心理の感応力をお前は考えてごらん。同じものに触れても人によって感じ方に大きな差異がある。そのことの不思議をまた僕はあれこれ疑り深く思い悩むのだが、それを論理的な言葉にする前に、僕はもう胸震わせた事象の虜となっていて理由もないまま引っ張られたり押し戻されたりしているんだ。しょっちゅうそんな塩梅だから想念というやつが眠らない高エネルギーの原子核か何かのように、自分本位で危険な代物だってことを漠然と疎んじたくらいさ。
そうさ、これほどはっきりしたイメージではないが、想いというものに確かに僕は疲れていた。思考を持たずに済む状態というものがあるなら、どんなに楽だったろう。かろうじてその状態に近いのが睡眠状態ってやつさ。
