カトリックでもない彼はある時期しばしばローマ法王に謁見し、TVのなかの人と親しくし、街角で出会う誰ひとりとして、知らない者がないほどの知人を持った。携帯電話がSFの小道具としてしか日常性を持たなかったころ、彼はトランジスターラジオを耳にあてて遠い何者かと交信した。熱心な交信相手は彼の好みを突くのが上手な性分らしく、時に相づちを打つ彼を楽しげに笑わせた。
陽気な季節でも、彼はよく内奥の嵐に悩まされ、癖のように「風が吹く」と嘆いた。
宇宙は彼のなかで騒音に満ちていた。
星の煌きさえ強烈な波動で押し寄せ、心臓を刺激していたに違いない。夥しい事象の数々が大気から現れぬかずいてみせ、変遷するその存在を彼の前にことさらに顕示したのだ。秒針の掠める一瞬に妄執を抱く鋭敏さは、囚われた者を悲愴なまでに組み敷く危険を宿している。夕暮れの微風に震える樹木の影さえ美しい妖魔のように膨れ上がり感受性をむさぼったであろう。
けれど彼は自死した人が住んでいた家の隣に建つわが家の離れで、真っ暗ななかでひとりたばこをふかすひとときを、少しも厭わないほど現実的な意味での恐怖には疎かった。彼の感性はその先のずっと彼方にある辺境に釘付けになっていて、不必要な基盤を後生大事に持つという、ありふれた人間の愚行をとうの昔に放棄していたのだ。

さて、彼のなかで悪魔か天使は常に何事かを囁いていた。横柄に命じるときもあれば笑いを取るときもあり、真っ当でない忠告をして混乱を煽ることもあった。気まぐれなリクエストにより母親が祈りをもってこしらえた料理には、忠告によると毒がまぶしてあるらしかった。手を付けるわけにはいない。
歯痛で苦しんでも病院や鎮痛剤の世話になることは許されなかった。楽になることも、より健康にあることも、全く忌まわしい破滅的事態であるかのようにその者は好まなかった。
周囲の言葉は含みのあるそそのかしであって、ひたすら悪意に満ちている。世の中全体がいつ正体を現すか分からないおぞましい魔物の住処である限り、幾らでもこねくり回すことの出来る言葉などというものは、まずもって用心せねばならない道具なのだ。
このところ頻繁に親切ごかしの忠告をする傍らの『囁く者』とて曖昧な進言者とも言える。彼の懐疑はとどまるところを知らず発展したが、それでも自己の思想に最も近い判断基準を持っているらしい『囁く者』には最終的な信頼を置いていた。
青ざめ痩せさらばえ咳き込み、日毎に弱っていくことこそ新たなる自我の共有者は求めていたというのに。意欲的な細胞の疼きや活発な興味の湧出をその者は軽蔑した。迷宮の暗がりに閉じ込められた意識に無気力という妙薬を施し、拒食症や不眠症をもたらすことで勝鬨を上げていった。
