自然との一体感を得るためなら、水のなかの生物を大気のなかに引き上げて溺れさせる必要はないわけだが、それこそ何もせずして汀に佇む超越性を行使できない凡人は、竿や餌箱や魚籠などの小道具が体裁上必要なのさ。けれど残酷さとは別の観点から純粋に釣りを楽しむ意識だって僕にはある。
例えばまどろみそうに変化のない時間ののち、突然訪れるあのえも言われぬ興奮のひとときを、どのようなスポーツどのようなゲームとお前は置き換えることが出来るかい。殆どのゲームには途中経過が見えているものだ。その点あれは、予測や期待を裏切っていつまでも黙りつづけ、かと思うと百八十度手のひらを返して世界を塗り変えてしまう意外性を持っている。魔法のようじゃないか。
てなわけで、そいつはまたしても素早く糸を巻き取り、先っぽから何かを外してボックスのなかに投げ入れ、拍子に蓋をした。きっと人目に曝すのも恥ずかしいちっぽけなマスの稚魚かなんかに違いない。僕に見せてくれればマグロにだって認識してやるのに。だがそうなると、そいつの道具のことごとくを認識しなおす必要が出てくる。面倒なことを考えずに釣りの醍醐味を純粋に共有したい気になって、僕はそいつがなおも順調に引き上げている何かの影を、岩のうえに追った。
糸の先から外されたそれは、よくあるようにつるりと滑り落ちて海に帰ることもなく、開いたボックスのうえにまともに降下した。手際のいいやつだ。貪欲じゃない分、慌てることを知らないせいだろう、と僕は思った。ボックスはもうたいがい腹一杯になって、勘弁してくれ、と叫びだしても良さそうなものだが、さして間を置かず海中から上がってくる獲物を底無しに受け入れていった。
全く、夢のように作業がリズミカルに進むものだから、釣り人の動きは文字通り機械仕掛けの人形のようにさえ映った。僕は最も派手な動きをして関心を呼ぶ一連の作業に釘付けになっていて、その他の背景がいつの間にか再び淡い輪郭でしかない認識外のものに立ち返っているのに気付かなかった。

タペストリー全体が灰白色の蜃気楼みたいに揺れだしたものだから水平線に視線を投げ、キラキラとした青い海面の向こうの雲の変調に気付いた次第なのさ。
薄墨色の綿雲がみるみる膨らんで沸き上がりながら接近しようとしていた。図らずも僕はそれをしっかりこの目で確かめたため、不安を煽る雨雲を認めることになってしまった。
誰の心象にもあるものかどうかは知らないが、僕にはいつも翼龍のような黒い巨大な空飛ぶ者の影が付きまとい、造作もなく世界を覆い尽くすことがあった。身の毛もよだつような雨雲だ。いや、意思ある者の邪気を秘めて風景全体を縄張りにし、自在に方向転換しながら滑空してくるまさに怪鳥の影だ。
手放しで何かに熱中しているときに決まってチャチャを入れにくる『囁く者』にも似た卑劣さや傲慢さを感じさせる。
