かなたへのあこがれ Longing for the other side2-P1~P5

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俊一はしかたなく櫂を止め、グラスを受け取った。「僕、飲酒運転になっちゃうな」彼は飲むふりをして口を近づけたが、グラスに唇はつけなかった。気の利いた冗談を言ったつもりでいる俊一だが、この時点でしらふではなかった。すでに瑠衣子につきあってけっこうきこしめしていた。微酔の勢いもあって俊一はこうして瑠衣子を誘うことができ向き合うことができていた。

 瑠衣子はなかば湖水に頭を倒し、ケラケラと笑った。華やかな笑い声が宵闇を突き抜ける。少しして彼女は静かになり、と同時に辺りもひっそりと静まり返った。

 樹木の鬱蒼としげる横手を抜ければ木製の桟橋が見える。泊地の先にちょっとした休憩のできる白亜のテラスがある。椅子とテーブルは大理石製で、三坪ほどの空間を取った八本の支柱の中央にしつらえられている。

 ボートは他にもあったが、この季節の日の落ちた時間に漕ぎだしてくるほどの粋狂者は、秋沢家には彼ら以外にあるまいと俊一は断定する。屋敷から歩けば大人の男の足でも一時間はかかるし、季節の飾りつけで華美にするあいだ以外は、轍の灯は多くは整備されていないから夜の散歩コースとしてはつまらない。

 しかしテラスそのものは違う。テラスは新月の闇のなかでも居丈高にヴィザンチン風の屋根をさらしていられた。もっとも人が近づくと存在感をあらわにするという、安全性のために設置した人感センサーの反応によるものだが、明々と照り映えるその姿は圧縮された威容を誇っていた。途中の道が白樺や椎の木の寄りそう自然林でしかないなら、テラスはまぎれもなく繊細な装飾彫りをほどこされた芸術性豊かな建造物である。夜釣りでも夏の涼を求めてでも、或いはちょっとした息抜きででも、外気の快い時期なら湖からの移動でそこはいつでも利用された。また時間のある日の瞑想の場として、裕三がぶらぶらと逍遙する際の終点でもあった。

かなたへのあこがれ1-P1~P5

かなたへのあこがれ-3-P1~P3

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